下賀茂神社の広い境内の糺の森(ただすのもり)の南端に鎮座する古社です。
かわいい顔を描いた絵馬がたくさん並んでいる写真を見たことがありませんか?手鏡型の絵馬は、旅行誌などにもたびた取り上げられる女子に人気のパワースポットです。
女性守護・美麗の神様として篤く信仰されている「美人祈願」の鏡絵馬。
鎌倉時代の歌人・随筆家、鴨長明(かものちょうめい)ゆかりの方丈庵が復元展示。
河合神社のご由緒
河合神社は下鴨の第一摂社ですが、かつては独立した神社でした。
鎮座されたのは神武天皇の御代(BC660~BC585年)と伝わる由緒深い古社です。
河合神社のご祭神
〇玉依姫命(たまよりひめのみこと)
玉依姫命は、初代天皇・神武天皇の母
玉依姫命は玉のように美しいことから、美麗の神・日本第一美麗神とされています。
美しくなりたいと思う願望や、安産・育児・縁結びなどを叶えてくれる女性の守護神として信仰されています。
また、鴨川と高野川の合流点に鎮座されていることから、「男女の仲を守る神」として霊験があると伝えられています。
拝殿
舞殿
河合神社の御朱印
「河合大明神」御朱印は書置きのみです。下鴨神社の摂社なので、二葉葵の御神紋の印が押してあります。
人気の美しくなれる鏡絵馬
鏡の形をした鏡絵馬(かがみえま)に、理想の自分の姿を描いて裏面に願い事を記し「美人祈願」をするという絵馬が大人気です。
曇りのない鏡のような美しい心を持つことを心がければ、その美しさは自然と外面に表れてくるはずです。
絵馬に願いを託すことにより、外見だけでなく内面も磨いて美しくなりましょう!という願掛けです。
本殿の前にある「鏡絵馬奉納所」には、個性豊かな鏡絵馬がいっぱいです。みなさんより美しくなりたいという女性の願望が集まっていますね。
鏡絵馬
受付時間:9:00~
初穂料 800円
鏡絵馬を書きましょう!
まずは本殿にお参りしてから、鏡絵馬を拝受しましょう。
絵馬を書くための「鏡絵馬お化粧室」があるので、ゆっくり描くことができますよ。用意されているクレヨンや色鉛筆でお化粧してもいいですし、ご自身のお化粧品でキレイにするのもOKです。
鏡絵馬は、あらかじめ顔が描かれたタイプと無地タイプがあります。絵の得意なかたは無地タイプを選んで自由に表現するのが楽しいかもしれませんよ。
鏡絵馬に願いを託します
表面
絵馬の表面に描かれている顔を自分の顔に見立て「美しい女性になりなすように」と願いを込めてお化粧してあげてください。
裏面
印刷された下鴨神社の御神紋「二葉葵」は、神様との出会いを意味します。御神紋の横に願い事を、持ち手の部分に自分の名前を書きます。
最後に美人祈願をしましょう
本殿の鏡の前で祈願して、鏡絵馬を奉納しましょう!
- 神様へのお願いを託した鏡絵馬が完成したら本殿へ向かいます。
- 本殿右前の拝殿に置かれている、霊験あらたかな「鏡」に自分を映して神様に祈願します。
- 絵馬奉納所に願いを託した鏡絵馬を奉納します。
御利益が楽しみですね^^
美白の霊石「御白石」
御白石(おしらいし)は美白効果があるといわれる霊石です。
御白石の前方の鏡に自分を映して祈願したあと、御白石を撫でその手で自分の顔を撫でると白く美しい肌の美人になれるそうです!
ぜひやってみたいです。
河合神社と鴨長明との関係は?
平安 〜 鎌倉時代の歌人・随筆家 鴨長明は、河合神社の神職 鴨長継の次男として生まれました。
代表作「方丈記」は長明が公職を退いて出家し各地を転々としながら執筆された作品です。
河合神社の境内には、この旅路で長明が家代わりに利用したとされる組み立て式の庵のが復元されています。
各地を転々と移動しているあいだの「すみか」として完成されたもので、移動に便利なようにすべてが組み立て式になっているのです。
その、「方丈の庵」が展示されています。鴨長明が1212年に随筆「方丈記」を執筆したとされる庵室です。
鴨長明は下賀茂神社の神職出身
賀茂御祖神社(下鴨神社)の禰宜(神職)鴨長継の次男として生まれ、神職となり従五位下に叙せられました。幼少より学問・和歌に優れ、後鳥羽院に見いだされ御和歌所の寄人となり、宮廷歌人として活躍した事で知られています。
鴨長明(かものちょうめい/かものながあきら)[1155年頃~1216年]
鎌倉時代前期の歌人,随筆家。賀茂御祖神社の禰宜 (ねぎ) 長継の次男。従五位下に叙せられ,南大夫または菊大夫と呼ばれた。琵琶を中原有安に,和歌を俊恵 (しゅんえ) に学ぶ。後鳥羽上皇の和歌所設置に伴い,寄人 (よりうど) に選ばれ,多くの歌会,歌合に参加。上皇の恩顧により,河合神社の禰宜に任じられようとしたが,同族 鴨祐兼 (すけかね) の反対により実現せず,これを機に 50歳で出家,法名を蓮胤 (れんいん) と号し,日野の外山に隠棲した。随筆『方丈記』は,この出家後の著作。出典:ブリタニカ国際大百科事典 より抄録
河合神社の禰宜(ねぎ)に就任か?
元久元年(1204年)、かねてより望んでいた河合神社の禰宜(ねぎ)の職に欠員が生じたことから長明は就任を望み、後鳥羽院から推挙の内意を得ます。
しかし、賀茂御祖神社(下鴨神社)禰宜(ねぎ)の鴨祐兼が長男の祐頼を推して強引に反対したため、長明の希望は叶わず神職としての出世の道を閉ざされてしまいました。
出家して随筆家となる
神職をあきらめた長明は近江国甲賀郡大岡寺で出家しました。当時50歳でした。
東山→大原→日野(現・京都市伏見区醍醐)で閑居生活を送り、建暦2年(1212年)随筆『方丈記』、歌論書の『無名抄』、説話『発心集』などを著しました。
建保4年(1216年)62歳で亡くなりました。
方丈記
鴨長明による鎌倉時代の随筆。和漢混淆文による文芸の祖。日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』、『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。
ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶ泡(うたかた)は
かつ消え かつ結びて
久しくとどまりたるためし無し
で始まる格調高い文章で有名です。
河合神社へのアクセス
「出町柳駅」からの参拝コースがおススメです。
鴨川を渡り、糺の森(ただすのもり)の表参道を歩く正式ルートで、徒歩約8分です。
河合神社は、下鴨神社の糺の森の中にあります。
糺の森の南側の参道から入り、自然のパワーを体いっぱいに浴びながらお参りするのをおすすめします!