京都のメインストリート「四条通の東の端」に鎮座し、平安京の東を護るお社として京都の歴史を見続けてきた神社です。
辰年の今年、是非行きたい神社のひとつです。
「祇園さん」と呼ばれ親しまれている八坂神社は、本殿の下に龍穴があるといわれています。
祇園からも近くお正月には100万人ものひとがお詣りに来るという大人気神社の魅力を大調査いたしました。
八坂神社の本殿には龍が住む
平安京の本殿の下には「青龍の穴(龍穴)」と呼ばれる穴があり、そこにはエネルギーが溜まる池があると伝えられています。
平安京は神獣に守られ、特に東方に位置する八坂神社がその守護神とされています。
この青龍は本殿の下に棲みついており、古くから京都の「東」を守る存在とされ、その池は「青龍」の棲む龍穴として知られています。
大和の「気」が貯まる場所であり、開運に効果があるといわれています。古来より、大地のエネルギーとされる「気」を龍に見立て、その「気」が集結するところが、龍の棲む場所、龍穴とされてきました。
東方は古くから吉方とされ、神聖な力や守護の象徴とされています。
青龍や龍穴といった要素は、中国の風水学や東洋の神話に由来するもので、特定の地域を守る守護神や聖なる存在として捉えられています。
西楼門―八坂神社最古の建造物
この西楼門は、古くは夜叉門(やしゃもん)、籠門(かごもん)と呼ばれてきました。
楼門の「楼」は高い建物をあらわしていて、ここ八坂神社の楼門は、高さ9.1m 幅7.9mの2階建てです。
西楼門を見ても今は高いという意識はないのですが、高層建築がなかった昔の時代は、八坂神社の西楼門は特に高い建物でした。
そのわけを簡単に説明しますね。
実は八坂神社は断層の上に立っていて、その断層がズレて西楼門だけ高くなったからなんです。
なので今日の人々が都のどこからでも拝むことができたのです。
京都の街の断層の上に作られ周囲より高いところに鎮座していた八坂神社。四条通から見上げて参拝することから天然の神棚のような存在だったのでしょう。
楼門脇の2柱の髄身
西楼門の両脇には、寺院の表門で見かける仁王像ではなく、随身(ずいしん)・平安時代の貴族の護衛役)の木像2体が置かれています。
右大臣:櫛磐間戸命(クシイワマドノミコト)うん
左大臣:豊磐間戸命(トヨイワマドノミコト)あ
平安時代の貴族の護衛役
南を向いて立つと朝日が昇る方向が左なので、左の方が位が高いとされていました。
八坂神社は祇園づくり
一般的な神社は、神様が祀られる本殿と人々がお参りをする拝殿にわかれていますよね。
しかし、ここ八坂神社の本殿は大屋根で拝殿も一緒に覆う『祇園づくり』になっています。この造り方は日本では八坂神社しか見られない貴重な造りなのです。
神様と同じ屋根の下で参拝できる特権がありますね。
日本の神社建築様式の1つ。
別棟であった本殿と拝殿を一つの屋根で覆ったもので、最も仏寺建築に近い神社建築様式とされる。
龍の鳴き声が聞こえるという伝説が龍の鳴き声が聞こえるというポイント
八坂神社の不思議と伝えられている龍吼
本殿の東の柱の獏の下で手を叩くと龍の鳴き声(龍吼)が聞こえるという伝説があるんです。
関東で言うと「日光の鳴龍」と同じですね。
龍と言われていますが、実は「獏」という神獣なんです。なぜ獏なのでしょう?
獏は悪い夢を食べるという事で知られているのですが、金属を食べると言われていて、金属は武器の材料になるため、その原料の鉄を食べることで平和な世を作ると言われている神獣なんです。
ご祭神とつながる鈴
ご祭神が3柱あるので、それぞれのお部屋につながっているからです。
真ん中の鈴 素戔嗚尊
右 クシイナダヒメノミコト
左 ヤハシラノミコガミ(子)
スサノオノミコトとクシイナダヒメノミコトは『ヤマタノオロチの神話』で有名ですね。その2柱の神様と子供であるヤハシラノイコガミの3柱をお祀りしています。
辰年のご神水
ご神水・・・力水という湧き水で、龍穴から湧き出ている水とされる。
本殿の下にあるりゅうけつから湧き出ていると言われている。
祇園の舞妓さん・商売人が持ち帰る湧き水を「力水」といって持ち帰る人も多いとか言われているご神水です。
大神宮社・・ 作りが伊勢神宮に似ている。
作り方が伊勢神宮に似ている。なぜ似ているかというと、伊勢神宮が20年に1度行う式年遷宮のときに出た古材を使って鳥居や社殿を造っているからなんです。
伊勢神宮と同じように内宮と下宮と社殿も2つあります。
ココ大神宮社をお詣りすれば、伊勢神宮をお詣りしたことと同じと言われています。
龍脈でつながる3つの神社
龍に関係のある3つの神社を巡ることによって、辰年にご利益のある最強参拝ルート
龍脈というエネルギーでつながるルートがだんぜんオススメです。