京都府の社寺仏閣

総本山鞍馬寺ー魔王が舞い降りたパワーあふれる太古の森へ(京都府)

あの「牛若丸」が育った場所としても有名な、天狗が住む山と言い伝えられている鞍馬山。

数々の伝説を持つ霊山に鎮座する寺院・鞍馬寺。一歩踏み入れると流れる空気が違うのです。

ここ一帯は、太古の自然が残る山の中に神秘的なエネルギーに満ちあふれ、幽玄で霊験あらたかな空気が漂う京都最強のパワースポットです。

この漂う空気をいっぱいに浴びて、心静かにお参りください。

 

じゃ~~~ん!!

 

大きな天狗がお出迎えです!ここ鞍馬山には天狗伝説があり、牛若丸(のちの源義経)が鞍馬山で天狗に武術を教わったと言われています。

それでは魅力あふれる鞍馬の山へまいりましょう!

 

 

仁王門-静かにたたずむ姿に圧倒されて

 

 

さあ、石段の先に見えるのが朱塗りの仁王門です。静かに漂う空気が何とも言えません。鞍馬の神様にすでに圧倒されています。

 

 

仁王門の両脇には狛犬ならぬ「狛虎」が鎮座しています。また、本堂のお隣にも同じく「狛虎」が鎮座しています。ここ鞍馬寺では虎はご本尊である毘沙門天王の遣いであり神獣として大切にされています。じっと見ていると吸い込まれそうで、ここでも「静」の迫力を感じます。

 

 

1891年(明治24年)に焼失した仁王門ですが、1911年(明治44年)に現在の仁王門は再建されました。左側の扉1枚は寿永年間(1182年~1184年)に創建された当時の頃ものだと言われています。

中央に「浄域」の文字が・・・。鞍馬山は、ご本尊が私達に生きる活力を与えてくれる浄域とされていて、ここ仁王門は俗界から鞍馬山の聖域への結界とされているのです。「神聖なる領域に足を踏み入れる」ということになりますので、心静かにどうぞ!!

愛山費¥300を納め聖域にお邪魔します。

 

 

両脇の仁王像は湛慶(運慶の嫡男)の作と伝えられていて、明治の再建時に丹波国から移されました。

 

 

 

鞍馬寺のはじまり

 

正式名:鞍馬山鞍馬寺

本尊:尊天 (毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊 三身が一体となって称される。)

宗派:鞍馬弘教の総本山

創建年:宝亀元年(770年)

開基:鑑禎

 

 

寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)によると、宝亀元年(770年)鑑真(がんじん)和上の高弟(こうてい:弟子の中でも特に優れた弟子の事)・鑑禎上人(がんていじょうにん)が毘沙門天を本尊として奉安したのが始まりということです。

その後、延歴15年(796年)藤原伊勢人が観世音を奉安する一宇の建立を念願し千手観音を併せて祀ったとされています。

 

鞍馬寺で頂ける御朱印

ひと筆、ひと筆とても丁寧に筆を運んでいただきました。墨の匂いがぷ~んと香る味わいのある御朱印です。

        観音・還浄水               童形六体地蔵尊
 

普明殿(ケーブル乗場)

仁王門から本殿金堂までは、歩くと登坂30分の参道。

足に自信のない方でも鞍馬寺に参拝できるよう、ケーブルがあります。このケーブルは、鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては日本で唯一、宗教法人が運営しているという貴重なケーブルです。山門駅から多宝塔駅まで2分で到着します。そこから少し歩けば本殿金堂に到着します。

普名殿には、知恵の光を象徴する毘沙門天像が奉安されており、鞍馬の真の姿を伝えています。

 

由岐神社

仁王門をくぐって結構な傾斜の坂道を上がると約10分で着くのがこの由岐(ゆき)神社。

由岐神社の祭神の「靫明神」はもともと御所の中にありましたが、天慶3年(940年)天慶の乱が起きたので朱雀天皇の命令により、鞍馬寺に遷宮し北方鎮護を仰せつかった鎮守社です。(北の守り神ということですね。)
由岐神社が鞍馬に移された時に、村人がかがり火を持って神霊を迎えたことが、今も続く「鞍馬の火祭」です。

 

 

御祭神

大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
相殿 八所大明神(はっしょだいみょうじん)

 

 

拝殿-桃山時代を象徴する

 

慶長12年(1607年) 豊臣秀頼により再建された拝殿。 左右二つに分かれて中央に通路のある荷拝殿(にないはいでん)また割拝殿(わりはいでん) いう形式で、桃山時代の代表的な建築物として現在国の重要文化財に指定されています。

 

 

 

ご神木「大杉さん」

樹齢:約800年
樹高:約53メートル
古くから『大杉さん』として親しまれ、一心に願えば願ことが叶うとされている。

 

九十九折参道(つづらおりさんどう)

元気な人は、九十九折の参道を登りましょう!

九十九折参道は鞍馬寺の表参道。平安時代、清少納言が「枕草子」で「近うて遠きもの くらまのつづらおりといふ道」と記した坂道でも有名。

      川上地蔵堂                           義経公供養塔

「川上地蔵堂」は、牛若丸の守り本尊である地蔵尊が祀られ、「義経公供養塔」は、牛若丸が住まいした東光坊跡に昭和15年建立されました。義経の魂は少年時代を過ごした鞍馬山に鎮まっていると伝えられています。

 

もともと仁王門の横にあって勅使門または四脚門と呼ばれ、朝廷の使いである勅使の通る門をこの場所に移築しました。

 

 

長い長い階段を上るとゴールは間近です!!

階段途中から振り向いてみるとなんて素敵な景色なのでしょう。目線の高さが山の頂上にだんだんと近づいてきています。このような景色を眺めることが出来たら、長い長い階段もあっという間に登りきれますよ!

 

金剛本殿

着きました!!ご本殿です。

 

宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場。御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られています。


夢のお告げを受けて鞍馬山に登った鑑禎(がんてい)が鬼女に襲われ、毘沙門天に助けられたのが寅の月、寅の日、寅の刻だったことにより、鞍馬寺の狛犬は虎(阿吽の虎)なのです。

太い大きな足で踏ん張ってご本尊をお守りしています。

 

宇宙のエネルギーが集まる「金剛床」

 


本殿である金堂では、千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊が祀られています。御本尊自体は普段は拝観することはできず、60年に1度丙寅の年に開扉されます。

金堂前にある石床は鞍馬寺でも随一のパワースポットとされる「金剛床」です。宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっています。

両手を広げて空を仰ぎその中心に立つと、宇宙と一体化して願いが叶とか・・・。一度試してみる価値はあるかもしれませんね。

 

本殿金堂の前にあるのが「翔雲台」です。ここは、平安京の擁護寿福のために本尊が君臨した所と伝えたれ、中央の板石は本殿金堂の後方より出土したという経塚の蓋石。

 

 

奥の院参道入り口

 

小さな門をくぐると予想外の険しい奥の院の参道。牛若丸は天狗に兵法を習うため、この参道を深夜急いだと言われています。

牛若丸が天狗に剣術を習ったという伝説の場所、僧正ガ谷を経て魔王殿に至る奥の院参道が始まります。

 

源義経公「背比べ石」

平家が父の仇であることを知った牛若は奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔します。
その際、名残を惜しんで、この石と背比べをしたと伝承されています。

 

僧正ガ谷 「不動堂」

「背比べ石」から歩いて5分ほどのところに「不動堂」があります。堂内に安置されている「不動明王」は伝道師最澄が天台宗立案の悲願のために一刀三礼を尽くし刻んだものだと伝えられています。

 

木の根道

牛若丸(義経)が天狗を相手に修行をしたと言われる神秘のパワースポットです。

奥の院に向かう不動堂近くの山道にあります。この辺りは固い地質のため根っこが地中に入ることが出来ず、地表を這うように張っていて他ではあまり見たことがない珍しい景観です。

 

 

義経堂

奥州で無念の死を遂げた義経の御魂は、懐かしい鞍馬山に遮那王尊(しゃなおうそん)として戻り安らかに鎮まっていると伝えられています。遮那王は、源義経の稚児名のひとつ。

鞍馬山はかつて暗部山と呼ばれていました。
本殿金堂から奥の院参道を入り、僧正ガ谷を経て奥の院魔王殿まで足を伸ばす山道には、太く大きな老杉がうっそうと生い茂っていて、暗部山と呼ばれていたことに頷ける事でしょう。

 

最も強力なパワースポットと言われています。

650年前、伝説の魔王「護法魔王尊・サナトクマラ」が金星からこの地に降り立ったと言われており、「奥の院・魔王殿」はその護法魔王尊が安置されている場所なのです。

 

 

 

 

鞍馬寺西門

魔王殿から貴船へは徒歩25分で大半が下りの山道です。

月のように美しく=千手観世音菩薩
太陽のように暖かく=毘沙門天王
大地のように力強く=護法魔王尊

鞍馬寺に祀られる三尊は、地球3つの「氣」を表しています。

緑が生い茂って自然の力も重なり、鞍馬の山の何とも言い表しがたい空気が流れています。是非肌で感じ取って欲しいと思います。