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平安京と四神獣(ししんじゅう)について

京の都であった平安京は四方を神獣によって守られていたと言います。

ここでわかること

平安京を守る四神獣について詳しく知ることが出来る。

四神獣とは? 4つの方位を司る神様

四神獣(ししんじゅう)とは、天の四方の方角を司ると信じられてきた神獣のことです。

東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武という神獣がそれぞれ四方の方角を守っているといわれています。

古くから開運・招福の象徴とされているので、良い気が集まって結果として心身が健やかになると考えられていました。

つまり、開運につながると考えられていました。

平安京を守護する四神獣

京の都である平安京こそ東西南北を「四神獣」が守護する地だということです。

次の表のとおり、桓武天皇を祀る「平安京」を中心に4つの神社が鎮座します。

青龍(東)は賀茂川‥八坂神社
白虎(西)は山陰道‥松尾大社
朱雀(南)は巨掠池‥城南宮
玄武(北)は舟岡山‥上賀茂神社

せっかくですので、平安京について少しお話しましょう!

平安京

平安京は、794年(延暦13年)に桓武天皇が定めた日本の首都というのは皆さんご存じですよね。

現在の京都市の中心部に位置していて、1869年(明治2年)の明治天皇によって東京に移されるまでは日本の首都でしたので、794年から1869年までの間、天皇の住まいがあった都だったということです。

平安京は、天皇の住まいである内裏(だいり=天皇が住み儀式や執務などを行う宮殿のこと)を中心として造られました。

京都はなだらかな山に囲まれた盆地に鴨川などが流れていたので、中国の唐の都長安や平城京にならって、東西約4.6㎞・南北約5.3㎞の都が作られました。

大路と呼ばれる大きな街路と小路と呼ばれる小さな路地が張り巡らされています。京都の街が碁盤の目のようだというのはこの頃から始まりました。

平和で安らかな都であるようにと願いを込めて名付けられた平安京が政治の中心だったのは約400年。

この間を平安時代といいます。

平安京に移ってきた理由

最初に、平安京という名前は「平和で安らかな都であるように」と願いを込めて名付けられたという由来は先程、少し触れましたね。

なぜ桓武天皇はそのように考えたのでしょう?

それは、奈良時代後期頃に公地公民制がくずれ、貴族の争いや奈良の寺院や僧などが力を持っていて、天皇の政治に口出ししていました。 そうした仏教勢力から離れるため、794年平安京に都を遷したのです。

公地公民制

公地公民とはその言葉どおり、「土地も人も全て国(天皇)のもの」という意味です。

公地公民制とは「土地と人を国(天皇)が管理するための制度」です。土地と人民はすべて国の所有として私有を認めない制度のことです。

平安京の歩み

平安京が置かれた京都は、794年~1192年までの平安時代の約400年間は政治や文化の中心として栄えました。

鎌倉時代は政治の中心が鎌倉に移ったのですが、皇居は京都に置かれていました。

室町時代に応仁の乱の兵火にかかって京都の大半が焼失したのですが、織田信長・豊臣秀吉らによって復興されたのです。

皇居は794年以来約1100年間京都に置かれたのですが、明治維新後東京に移されました。